Archive for 6 月, 2007

No.11 「友人達」


 僕の部屋にはバンドのメンバー以外にも毎日集まってくる人間が増えていた。
小学校の頃は成績優秀だったが高校になると人生や正義や政治や女性なんかで悩んでるうちに何で悩んでるのか解らなくなって悩んでいるK本。
家が養豚場をやっているので朝の暗いうちから手伝っていて夜の9時にはこっくりこっくり始めるS馬。
髪型は花形ミツルでジーパンの柄も花柄、しかも当時誰も持てなかったマーティンのギターをそんなに弾けないのにいつも持ってきていた放送部のO村。(現在某スタジオのエンジニア)
ある日、中古のオルガンを担いできて「一緒にやらせて」で仲間になった陸上部のO谷。この時彼は鍵盤のドレミの位置しか知らなかった。
吉田拓郎フリークで自称シンガーソングライターのN勢。(のちに有名シンガーソングライターの舞台監督をやっていた)
などの個性的な連中がほかにも集っていたがこの頃になると僕の部屋というよりみんなの部室のようになっていて、部室見学の女の子が来たり知らない人が来ててもまったく普通だったのだ。こうなってくると全体がバンドっぽくなったというか、コミュニティーのようだった。
秋の文化祭にバンドで出演した。演奏したのはメロがあんまり決まってないオリジナルの曲と
「枯れ葉」ただしサビなし(コードが難しくなるので省略した)だったと思う。この時の演奏を放送部のO村たちが録音してくれてて、福井の放送局に送ってくれたのだ。そして放送してくれることになった。しかも日曜の夕方放送するから生で電話インタビューを受けることになった。日曜になりラジオと電話の前で家族やバンドのメンバーたちと待った。番組が始まりコーナーになりアナウンサーが電話を回すと、家の電話が鳴った。おそるおそる受話器を取り松原ですと答えると、いきなりラジオから自分の声が出た。不思議な感覚だった。
無事にインタビューを終えて曲がかかったのだが、サビのない枯れ葉だった。ビミョウ、、、僕はまぁ〜構わないけど聞いている人達だいじょうぶだったかなあ〜と、今でも気にしているのです。
この出来事も僕の’プロミュージシャンに成りたい病’にいっそうの拍車をかけるきっかけになったのだ。


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